ワイキキ Waikiki
世界的リゾート地。
やってきました世界的リゾート地ハワイ。日本人にはとてもなじみの深い大人気の場所です。今回は仕事の研修を兼ねて両親を連れてやってきました。
その中でもワイキキは観光ホテルやショッピング、エンターテイメント、ビーチが揃う一番の繁華エリア。本当にたくさんの人たちでにぎわっています。そこで目につくのはやはり日本向けのお店と日本人の多さ。いろいろなところを旅行して日本の文化の波及を感じたこともあったけどここワイキキはまるで別次元。第二言語が日本語と法律で決まっているかのようなくらい日本語が飛び交っています。韓国語や中国語もあって良さそうと思うんだけど、ほとんど見かけません。
ハワイ随一のショッピングモール「アラモアナセンター」は新しい巨大なもので、数々のスーパーブランドやお店、フードコートやレストランが含まれています。その中の「白木屋」という居酒屋風の名前の場所には「屋台村」というフードコートがあります。そこの日本食の取り揃えは想像をはるかに超えたもの。通常日本食と言えば寿司、天ぷら、ラーメンくらいかなと思っていたけど、そこには漬け物から煮物などのお惣菜、唐揚げ、海苔弁などなど日本のスーパーと変わらない品揃えでにぎわっていました。
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ポリネシアの歴史と文化を体験
ハワイ、フィジー、トンガ、タヒチ・・・
オアフ島で一番の観光スポットと言われるポリネシアンカルチャーセンター。ワイキキから専用のシャトルバスがたくさん出ています。まず見たのはハワイを始めとするポリネシアの数々の国々を紹介するボートのショー。もともとは同じ民族であったそれぞれの国々が独自の色合いを表現します。
センター内にはそれぞれの国のテーマやプレゼンテーションを行う村があり、歌やダンス、歴史や生活習慣を体験することができます。最初に行ったサモア村のショーでは、短い時間で火起こしをしたり、ココナッツを割って飲ませてくれたり、ヤシに登ってココナッツを取ったりといったショーをユーモアたっぷりに楽しませてくれました。フィジー村での「ハカ」ダンスはラグビーのオールブラックスでおなじみですが、こちらも迫力満点に見せてくれました。
ブッフェでの夕食を済ませた後は、大ホールにてハワイで一番人気のあるショーである「Ha Breath of life」の鑑賞。超一流のダンサーによるストーリーにそったダンスは最初から大興奮。撮影禁止のためあまり写真はありませんが、火をふんだんに使ったコミカルなパフォーマンスやトーチを使ってのファイアーダンスはものすごい技術。クライマックスは出演者全員によるダンスと音楽を大迫力で迎えます。
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パールハーバー Pearl Harbor
太平洋戦争の発端と収束を知れる場所。
日本とアメリカの太平洋戦争が始まった場所として知られるパールハーバー。そこには当時の様子を物語る数々のものが残されています。
今回アメリカ国立施設の閉鎖の影響によりアリゾナ記念館を見る事はできませんでしたが、そこには日本軍の攻撃により沈められた戦艦アリゾナが今も沈んでいるのを見ることができます。この撃沈により始まった太平洋戦争。その悲劇を忘れないため、そして繰り返さないためにこの記念館は存在しています。
そしてその近くにあるのが巨大戦艦「ミズーリ」世界最大を誇るそれは、太平洋戦争から朝鮮戦争、湾岸戦争まで実際に使われたもの。戦艦とはどういったものなのか、そして内部ではどのような生活をしていたのかをリアルに感じることができます。
日本人にとってこの戦艦の最大の意義とは、この戦艦の上で太平洋戦争降伏の文書の署名が行われたところにあります。長かった戦争の終結を迎えるその歴史的瞬間は、この艦のデッキで行われたのだということを想像すると、心が揺さぶられる感覚に陥ります。場所は東京湾浦賀沖。ペリーによる開国要求がされたちょうどそのポイントで、当時のアメリカ国旗をデッキに飾りその調印式は行われました。日本の代表団は、重光葵外務大臣(政府全権)と梅津美治郎参謀総長(大本営全権)。当時のマッカーサーによるスピーチの後、イギリス、フランス、カナダ等列国の代表団が順に署名して行くのですが、カナダの代表者はうっかり一段間違えたところに署名してしまい、ちょっとした騒動になっている様子が写真に残っています。歴史に残る書き間違いの逸話をガイドさんから聞く事ができました。
戦艦最後の1枚は、日本軍特攻による神風アタックが看板のへりにぶつかってへこんだもの。戦艦にほとんど被害はありませんでしたが、翼と操縦士が戦艦の上に落ちてきました。その日本兵の遺体をどうするかということでアメリカ兵の間では議論になりました。当時の艦長は「彼は我々と同じく国の命を受けここまで戦った。死んでしまってからは敵も味方もない。丁重に扱い明日全員で水葬の儀式を行う」との命令を下しました。艦長は兄弟を日本軍に殺された過去を持つ人でした。水葬ではアメリカ兵によって作られた日本国旗にくるまれ、遺体は海に沈められたということでした。
次に行ったAviation Museumでは、当時の飛行機のモデルが多数展示されています。パールハーバーを襲った第一次作戦の詳細と零戦戦闘機。それに対したアメリカ軍機の歴史等を知ることができます。百田直樹の「永々の0」を読むと分かるように。零戦は飛行能力に優れていましたがとても薄く、防御能力はとても低かったことが見て取れます。それに対してアメリカ軍の飛行機は頑強そのもの。多少の攻撃では落ちないことを第一に作られていました。
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ダイヤモンドヘッドトレッキング
オアフの象徴からワイキキエリアを見下ろす絶景。
あまり多くの観光客は行きませんが、ダイヤモンドヘッドは内側から登ることができます。コンドミニアムがダイヤモンドヘッドに近かったため、僕と父は徒歩でクレーターの外側を周りトンネルからクレーター内部へ。ここまではバスやトロリーでも行くことができます。
中は公園のようになっていて1ドルを払うとトレッキングコースとして頂上までの道を行くことができます。途中までは舗装されていますが、それからはトレイルをジグザグに登って行きます。通常の山と違ってそこはやはり元火山。あまり木が生えていなく日陰がないためハワイの直射日光が容赦なく照りつけます。しかし登りきった頂上から見るワイキキやカハラエリアは絶景。遥か遠くまで見渡すことができます。
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ハワイグルメ Hawaian Cusines
ハワイ料理、アメリカ料理
最初の3枚はカパフル通りにあるハワイ料理ポケの専門店。マグロ「アヒ」たこ「タコ」の2種類がメインであとは醤油味、みそ味、スパイしーなどを選ぶことができます。新鮮な魚の切り身に塩、タマネギ、ネギ、海藻やスパイスを混ぜ合わせた「ポケ」というハワイ料理を量り売りしています。
ハワイパンケーキの有名店Eggs'n thingsはオアフに3店舗ありますが、僕たちはアラモアナにできた新しい3号店に行きました。ウェイターの黒人は日本語がペラペラで「ボクノコトモオモチカエリデキマ〜ス」が決まり文句の面白い男でした。どのテーブルでも言っていました^ ^。
注文したのは3種類がミックスされたパンケーキとスペシャルオムレツ。パンケーキは予想以上にあっさりとしていて、意外とすんなりと食べれました。メイプル、ココナツ、グアバの3種類のシロップがハワイ流なようでとても美味しかった。オムレツはなかにとろけるチーズが入って絶品の味。サルサソースもおいしく病み付きになりそうな味でした。
最終日の夜に行ったロイヤルハワイアン内の「Azure」では、おいしいワインとシーフードサラダ、マグロのたたき風料理、ステーキ、リゾットを食べました。さすがにどれもすばらしい味。コンドミニアムだったのであまり外食をしませんでしたが、最後にとても贅沢なひとときを過ごせました。
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その他 Others
コンドミニアム、ショッピングモール、ヨーロッパシネマフェスティバル、カピオラニパーク、ウクレレ
僕たちが泊まったワイキキビーチサンセットはそれほどゴージャスなものではありませんでしたが、32階のオーシャンビューの部屋だったのでビーチやダイヤモンドヘッドを眺めながらのんびりすることができました。
アラモアナセンターの奥には地元の人向けのショッピングセンター「ワード」があります。アラモアナよりだいぶ人は少なく安く買うことができます。
ちょうどヨーロッパのシネマフェスティバルが高級ホテル「モアナサーフライダー」で行われていて、入り口にはヨーロッパの俳優や監督たちが次々に車で来てレッドカーペットを通り入館していました。ドレスを着た女優やミスたちはやはりゴージャス。アメリカのセレブショーを垣間見る事が出来ました。
ワイキキとダイヤモンドヘッドの間にある大きな公園はカピオラニ公園。樹齢何年かわからない巨大な木がたくさん生えていて気持ちのよい木陰でハイキングを楽しむ人もたくさんいます。テニスコートもあって自由に無料で使用することができます。
最後のウクレレは、オアフ最古の老舗ウクレレハウスで購入。多数のウクレレを実際に弾いてみて好きな音色のものを選びました。ブランドはハワイのウクレレブランドKALA。少し大きめで深い音のものです。
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