ニース Nice
コートダジュールの浜辺。アンリ・マティス。
マルセイユからモナコを経てイタリア国境まで続くコートダジュール。そこには世界中のお金持ちがバカンスにやってきます。その中でも四季を通じて観光客の絶えないニース。豪華客船が停泊し美しい浜辺でのひとときを楽しんでいます。
ビーチはたくさんの海水浴客で賑わったプロムナード・デサングレやその他隠れ家的な小さなものまでたくさんあります。僕は人里離れた小さくて景色の美しいビーチと賑わった人気ビーチ両方を体験。透明度抜群の海で泳ぎつつ、静かな波の音を聞きながらの読書と昼寝。「地中海のフランスのコートダジュールの浜辺に来てるんだ〜」と思うだけでテンションはマックス。持参したお弁当とビールを食べ飲みつつ最高ののんびりを満喫しました。移動続きの旅の疲れも解消。
近くに寄って来た8歳くらいの長髪少年がしゃべりたくて仕方ない風にいたので話しかけてみると、彼は家族に連れられそこに来ているとのこと。そして得意げにいろいろなことを話します。「僕は浜辺の石や動物の骨でレターナイフを作れるのさ。面白いことに観光客の大人は結構な値段で買うんだよね」とか、G-shockの時計をしていて「あれお兄さんのとオレの似ているけどちょっと違う。おれのはこないだまでいたドバイ時刻にしてるんだ」とか「どうやってここに来たの?」と聞かれバスだけどと答えると、「おれそこに泊まってる専用フェリー」とか言いやがっていました。超裕福で生意気なガキでした。
ニースにはマティス美術館もあります。ニースで生活していた彼の作品、家具や装飾品などが展示されています。ほんとに有名な「ダンス」や「ジャズ」なんかの作品はもちろんそこにはなかったんだけど、デッサンや初期の作品、未完成のもの、得意の切り絵作品、「花と果実」などの大きな作品等見応えは十分。その時期ちょうどやっていたロダンの作品展とともに(ロダンとマティスの作品が比較的に並べられていました)とても興味深く見ることができました。最後のサラダとスパゲティはユースで仲良くなった友達が作ってくれたもの。おいしかった〜。
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ルーブル美術館 Musee du Louvre
世界最強の美術館
30万を超える展示を誇るルーブル美術館はその数や規模の大きさだけでなく、その内容においても世界最高の美術館かと思います。特に古代・中世のヨーロッパ美術においてはとにかくすごい。強力です。
ピラミッドの入り口から中に入ると、館内はリシュリュー、シェリー、ドノンの3翼に分かれています。さすがに全部は見切れないのでやはり有名どころを中心に鑑賞。「サモトラケのニケ」、「ナポレオンの戴冠式」、「民衆を率いる女神」、「エロスの接吻で目覚めるプシュケ」「アフロディテ(ミロのヴィーナス)」、エジプト美術、メソポタミア美術、「ハムラビ法典」、「フィリップ=ポーの墓」、ナポレオン三世の居室、ルーベンスのホール・・・。
そしてなんと言っても一番人気はダ・ビンチの「モナリザ」。写真にあるように割と小ぶりな1枚の絵のために頑丈そうな壁一面を使い、防犯用のガラスに入れられて展示されています。いろんな美術館に行ったけれどここまでの厳重さはやはり初めて。しかし遠くから見た瞬間はやはり「本物だ〜!」と大興奮。群衆の中近づいて行くと目の前にあのモナリザが。じっくり鑑賞しました。角度により距離によりいろんな印象を与える微笑みな気がしました。
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ヴェルサイユ宮殿 Versailles
「太陽王」ルイ14世の大宮殿
ルイ14世が実に50年近くの歳月をかけて造らせたヴェルサイユ宮殿。世界中にその名を轟かせてきたその宮殿はまさに華麗、豪華そのもの。すべての部屋の作り、調度品の数々がその当時の彼の権力の大きさを物語っています。
宮殿内部には王の大居室、王妃の居室群、王室礼拝堂、オペラ劇場などがありますが、中でもすごいのが鏡の回廊。ヴェルサイユ条約の調印が行われたその場所は、鏡が一面に仕立てられシャンデリアが続くゴージャスな大広間。自慢の大庭園を見渡すこともできます。
そして宮殿もすごいけどそれ以上にすごかったのがその庭。ルイ14世が「ヴェルサイユ庭園案内の手引き」を書き残すほどの思い入れのその大庭園は、宮殿の背後に果てしなく広がっています。ラトナの泉、アポロンの泉などを経由してその先には大運河が続いています。時折おこる大噴水はものすごい高さ。
宮殿の北には大小二つの離宮があり、そこは宮廷生活にあきあきしたときに息抜きをする場所。グランドトリアノンはルイ14世が退位後愛人のマントノン夫人と暮らすために建てたもの。バラ色の大理石がきれいな宮殿です。
プチトリアノンはマリーアントワネットが愛した離宮。宮殿に住みたがらなかった彼女は、故郷オーストリアの田舎のような農村を造ります。畑があり牧場があり質素な小屋があり。彼女は華やかな宮廷生活よりもそういった農村生活を好んだようです。
そこまで歩いただけでもうくたくたの広さ。ふつうはトラムやカート、セグウェイなんかでみなさん移動しています。しかし豪華さと贅沢さを極めた宮殿とその外れにある質素な村のコントラストが非常に興味深く思いました。
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その他の写真
エッフェル塔、凱旋門、ポンヌフ橋、コンシェルジェリー、ノートルダム大聖堂、セーヌ川、市庁舎、チェイルリー公園、コンコルド広場、シャンゼリゼ大通り
夜のエッフェル塔、凱旋門はやはりきれい。エッフェルは時折センスないくらいにピカピカと発光する時間があります。凱旋門は1805年フランス軍の大勝利を記念してナポレオンが建てたもの。戦争が終わると戦士たちは必ずこの門を通ってパリに戻ったとのこと。ポンヌフ橋はパリにあるなかで最も古いもの。橋の両側にある半円アーチ状に造られたベンチは映画「ポンヌフの恋人」でも有名。ユーゴーの「ノートルダム・ド・パリ」で有名なノートルダム大聖堂はフランス中世建築の代表作。内部はたくさんのステンドグラスで荘厳さを感じさせます。387段の塔を登ると右手には有名な吸血鬼の彫刻がパリの街並と歴史を見守るように座っています。
ルーブルから凱旋門へは公園や広場、大通りを経る1本道。パリ市民がくつろいだり、シャンゼリゼでの買い物を楽しむ場所でした。
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モンサンミッシェル Mont St-Michel
夢のお告げにより造られた修道院
この修道院の建設が始まったのは966年のことで、司教オベールの夢の中に大天使ミカエル(サン・ミッシェル)が三夜続いて現れ、この地に修道院を建てるように告げたのが発端。ミカエルを讃えたその大聖堂にはベネディクト派の修道士が居を構える一方、山の下方に向かっては村が広がって行きました。
14世紀になってイギリスとの百年戦争に突入すると、修道院は英仏海峡に浮かぶ要塞として機能するようになります。フランス革命で僧たちが追われた後は牢獄として使われ、主に政治犯が投獄されました。
ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」に描かれているように、潮がひくと辺りは見渡す限りの砂地。1800メートルの長い堤防に続いて修道院はそんななかにそびえています。
中に入るとまず現在はレストランや土産物屋になっている修道院周辺の村があります。修道院に入り門番小屋を過ぎるとマルティヌス礼拝堂に辿り着きます。当時の階級制度を反映した3階建ての構造で、3階には聖職者が利用する大食堂と回廊庭園、2階には裕福な巡礼者の騎士の間と賓客の間、1階に一般巡礼者用の布施分配室などがあります。賓客の間には歴代のフランス国王も訪れたとか。建物の中は全体的に薄暗く、その中に入り込む日の光はとても幻想的。食堂やキッチン、回廊ではその孤立した島の中で過ごしていた修道院の生活が想像されます。写真の水車のようなものは、囚人たちが中を歩いて回しリフトを上げ下げしていたとのこと。
僕が行った時は辺りの潮は引いていて一面の砂地でした。レミゼラブルのように砂地に引き込まれて行くようなことはなく、何人かの人は川を超えて歩いていっていたので僕も裸足になってトライ。どろどろになりつつモンサンミッシェルをいろんな角度から楽しむことができました。最後の写真はこの地に風力発電ができるとのことでたくさんの人がデモ活動をしていたもの。テレビ局も来ていました。
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